自閉症児と絵カードでコミュニケーション

──PECSとAAC──

  
アンディ・ボンディ/ロリ・フロスト 著  園山繁樹/竹内康二 訳

 自閉症をはじめとした、話し言葉によるコミュニケーションに重度の困難のある子どもや大人の人に対する拡大・代替コミュニケーションシステム(AAC)が、注目度を増している。本書では、絵カードを使ったPECSトレーニングとその展開の仕方が、わかりやすく解説されている。

A5判・224ページ 定価2,100円(本体2,000円+税)
ISBN 4-86108-034-7 C3037 \2000E
2006. 7. 31  第1版 第1刷

目 次

謝 辞

第1章 コミュニケーションとは何か?
第2章 コミュニケーションというコインのもう一つの面:理解
第3章 話すことができないのか? コミュニケーションができないのか?
第4章 なぜ彼女はそうしたのか? 行動とコミュニケーションの関係
第5章 拡大・代替コミュニケーションシステム
第6章 絵カード交換式コミュニケーションシステム(PECS):最初のトレーニング
第7章 PECSの上級レッスン
第8章 理解を促すための視覚的方略の活用
索 引
用語解説
訳者あとがき
訳者紹介



序 
 私(アンディ・ボンディ)がカートのことをはじめて聞いたのは、地域の子ども病院に勤めている友人からでした。彼は次のような話をしました。「私の病院のスタッフは、その3歳の男の子の相手をするのに防具に身を包むんだ。ヘルメットをかぶり、肘や膝や手首にも防具を着けるんだ」。どうしてそんなに防具を着けるのかと私が尋ねると、その友人は「その子をその子自身から守ってやるためさ!」と答えました。私も自傷をする子どもはそれまでたくさん見てきましたが、そのように小さい子はいませんでした。彼は翌日、私たちの学校にやってくることになっていました。
 カートと一緒に学校にやってきた母親はとても優しそうな人に見えましたが、不安そうな表情も浮かべていました。彼女は私たちに次のようなことを話しました。カートはまだ話せないこと、好きなことはたくさんあるが、それらをほとんどいつも一人でしていること。そして、彼女がカートの「爆発」について話し始めたとき、彼は母親の膝の上で静かにしていましたが、突然小さな音を立てて膝から下り、硬いタイルの床に自分の額をドンと打ちつけたのです。私が捕まえようとすると、ドアを目がけて走り出しました。何とか捕まえて抱きかかえると、彼はすぐに私の顔を引っ掻き、あごひげを引っ張りました。私は彼を抱きかかえたまま、彼の手が私の顔から離れるように、彼の身体を逆向きにしました。そうすると今度は、私のお腹を後ろ向きのまま蹴り始めたのです。たまりかねた私はカートを下ろしたのですが、すぐさま彼はジャンプして膝から床に落ちました。そして、ドアに顔面からぶつかっていき、外に逃げていってしまいました。これらは、たった1分間の出来事でした。その間、母親は静かに座り、どうしてよいかわからないといった様子でした。この部屋にいた他の専門職たちもみな同じ様子でした。

 ここで紹介した場面では、何が問題にでしょうか? カートは自閉症と診断された幼児です。3歳になっていますが、まだ話すことができません。コミュニケーションの困難が、彼の行動問題と関係していたのでしょうか? 彼の行動問題が、コミュニケーションの困難に影響していたのでしょうか? 彼のコミュニケーション困難は、話す能力がないことだけによって起きているのでしょうか、それともこの問題はもっと根が深いのでしょうか? そして、彼の母親、家族、専門スタッフが、カートを助けるためにどのような方法をとることができるのでしょうか?
 私たちが本書を執筆した目的は、自閉症スペクトラム障害の人を含め、カートのような話せない子どもや大人たちが示すコミュニケーションの困難について、両親や専門職の人たちに理解を深めてもらうことです。本書の前半では、言葉を用いない人たちの特徴のいくつかを説明し、コミュニケーションの理解について、私たちのアプローチを具体例をあげながら紹介します。また、コミュニケーションとさまざまな行動問題との関係についても解説します。続いて、手話の使用やそれほど公式なものではないかもしれませんが身振りの使用、絵やシンボルを用いたシステムなど、いくつかの介入方法を紹介します。そこで紹介するものの中には、ローテクなもの(写真や描画を利用)からハイテクなもの(音声出力装置などの電子機器を利用)まであります。またそれらの方法を紹介しながら、そのアプローチがその子どもや大人に適しているかどうかをアセスメントする方法も説明します。最後の3章では、視覚的手がかりを用いて指示の理解を促進する方法や、「待つこと」の学習に関連した問題や移動の問題を取り上げます。また、これらの方法がさまざまな動機づけ方略の有効性を高めることについても説明します。
 コミュニケーションのための話し言葉の獲得が他の方法では困難な子どもたちを支援するために、私たちが本書を執筆した理由は何だったでしょうか? その答えを考えてもらうために、カートの後日談を紹介しましょう。

 あれからカートは、公立学校で実施されている集中的な特別訓練プログラムに毎日通うことになりました。担当となった教師たちはまず、カートが好きな物や、彼が周囲に注意を向けるようにするために有効なやり方を書き出し、整理しました。カートは他の人が言うことやすることを模倣する学習が必要なのに、このプログラムの開始時点で、彼はまだこれらのスキルを獲得していないことは明らかでした。最初の数日間は、絵カード交換式コミュニケーションシステム(PECS:the Picture Exchange Communication System)の訓練が実施されました。第1回の訓練セッションで、カートは塩味ビスケット(彼の好物)の絵カードを教師に落ち着いて手渡せるようになりました。この訓練は、教師からの問いかけは一切ない形で実施されました。つまり、カートは教師がビスケットを持っているのを見ただけで、自発的にその絵カードを手渡せるようになったのです。続く2、3日の訓練で、彼は他の好物を要求するために、それぞれの絵カードを手渡すことを学習しました。
 次に彼は、単文を作るために、台紙に2枚の絵カードを並べることを学習しました。さらに、要求する際にある属性を明確にすることも学習しました。たとえば、「大きなビスケットが欲しい」といったような形でコミュニケーションできるようになりました。このように、物を要求する新しい方法を学習しながら、教室の中で簡単なことを教師に伝える学習もしました。この時点で、両親は家庭でもPECSを導入し、カートが家族とコミュニケーションできるようにしました。カートは学校でも家庭でもとても落ち着いた状態になり、ほんのまれにしかかんしゃくは起きなくなりました。なぜなら、いまやカートは人に自分の欲しい物を伝えるための、効果的で簡単な方法を身に付けたのですから。

 カートのように非言語コミュニケーションシステムを使うと、話す学習が妨げられるのではないかと、心配する人もたくさんいます。この問題については本書の中で詳しく述べますが、ここで言えることは、視覚的なシステムが話す能力の発達を妨げたり抑制することを示す証拠はないということです。逆に、視覚的なシステムを用いることによって、話す能力の発達にもよい影響があると示唆する研究結果が増えています。ここで紹介したカートは、まだ話せるようにはなっていませんが、効果的なコミュニケーションができるようになりました。しかし、本書の重要な目的は、必ず話せるようになる方法を強調することではないのです。本書では、子どもたちが効果的なコミュニケーションができるように支援する方法を扱っているのです。
 私たちが強調したいのは、機能的コミュニケーション(functional communication)、すなわち、直接強化子(欲しい物)や社会的強化子(誉められたり、好きなことをしてもらう)を手に入れるために他の人に直接働きかける能力を、子どもたちが学習するよう支援することです。次の表は、私たちが特に重視している機能的コミュニケーションスキルです。
 子どもたち(大人も)が機能的コミュニケーションスキルを獲得すれば、彼らの生活(彼らの家族や教師の生活も)は今よりもはるかに豊かになるはずです。



訳者あとがき
 本書は、「PECS(ペクス)」と呼ばれる「絵カード交換式コミュニケーションシステム(the Picture Exchange Communication System)」を共同開発したアンディ・ボンディ(Andy Bondy)博士とロリ・フロスト(Lori Frost)の共著で、第5章をパット・ミレンダ(Pat Mirenda)博士が特別寄稿し、2002年に米国のWoodbine House社から出版されたものです。原著のタイトルは A Picture's Worth: PECS and Other Visual Communication Strategies in Autismです。
 著者のボンディ博士は応用行動分析学を専攻し、コミュニケーションをはじめとした自閉症の子どもの指導に長い経験を有している人です。フロストは言語聴覚士(speech-language pathologist)の資格をもち、コミュニケーション障害や重度のチャレンジング行動を示す子どもたちへの支援に、20年以上にわたって携わっています。このお二人は本書の中心テーマであるPECSの共同開発者であるだけでなく、現在は、会社組織であるピラミッド教育コンサルタント社(Pyramid Educational Consultants, Inc.)の共同経営者でもあります。この会社はPECSの研修・普及活動を中心に、自閉症をはじめとした発達障害の子ども、保護者、教師に対するコンサルテーションなど、幅広い支援活動を精力的に行っています。詳細については、ピラミッド教育コンサルタント社の公式ホームページ(http://www.pecs.com/)をご覧ください。PECSに関する情報もたくさん掲載されています。
 第5章の「拡大・代替コミュニケーションシステム」の執筆者であるミレンダ博士は、現在、ブリティッシュコロンビア大学教育カウンセリング心理学・特殊教育学部の教授で、自閉症スペクトラム障害、拡大・代替コミュニケーション、発達障害、積極的行動支援を研究テーマにしています。主著としては、本書でも第2版が引用されている Augmentative and alternative communication: Supporting children and adults with complex communication needs. 3rd Edition.があります。
 さて、PECSは、話し言葉によるコミュニケーションに重度の困難のある自閉症をはじめとした子どもや大人に対する拡大・代替コミュニケーションシステムとして、近年わが国でもその注目度が増しているものです。訳者の研究グループでもこれまで、文献研究(小井田・園山・竹内, 2004)や事例研究(小井田・園山, 2000; Kondo & Sonoyama, 2005)などを行ってきました。他のコミュニケーション支援法と比較した場合のPECSの主な特徴は、本書でも述べられていることですが、以下の5点にまとめることができるでしょう(小井田・園山・竹内, 2004)。@PECSによるコミュニケーション行動は比較的短期間で教えることが可能で、その用具も持ち歩きが可能で、さまざまな場面で使うことができます。A日常生活の中で実際に使える機能的コミュニケーション行動がトレーニングに意図的に組み込まれており、実際の生活場面でも他者との相互作用が促進されやすくなります。B話し手(子ども)が聞き手(他者)に近づくことを必要とする訓練条件が設定されており、コミュニケーション行動を起こす前に、すでに子どもの方から他者への相互作用を始めています。Cコミュニケーション行動の訓練の前提条件として、自閉症児にとって困難を伴う模倣や注視をそれほど必要としませんので、かなり早い時期から訓練を始めることができます。D話し手(子ども)の運動的な負担が小さく、聞き手(他者)も特別な知識を必要としません。
 これらの特徴の他にも、本書ではいくつかのことが強調されています。その中でも特に注目されるのは、応用行動分析学の枠組みと技法がPECSの基礎にあるということです。たとえば、本書では、チャレンジング行動はコミュニケーション機能を果たしているものが少なくないことが解説されていますが、これは応用行動分析学における機能的分析あるいは機能的アセスメントの手法によって明らかにされてきたことです。そして支援方法としては、子どもにとって必要なコミュニケーション機能を、チャレンジング行動によって果たすのではなく、社会的に適切で子どもが遂行可能なコミュニケーションスキルによって果たせるようにすることが推奨されます。PECSは、拡大・代替コミュニケーションシステム(AAC)の中でも、自閉症の子どもたちが獲得しやすいものと言えます。また、時間遅延法、プロンプト、シェイピング、強化など、PECSトレーニングの具体的な手続きの中でも、応用行動分析学の個々の技法が多用されています。
 また本書では、子どもたちの実例を具体的な形で示すことによって、PECSトレーニングの実際の様子や配慮すべきことがわかりやすく解説されています。PECSトレーニングでは(もちろん、その他のコミュニケーション支援でも)、子どもが絵カードを使ってコミュニケーションできるようになるだけでなく、それによって子どもの生活がどのように変わっていったかが、もっとも重要です。事例を読むことによって、この変化が実際にどのように起きていったかが理解できます。
 たしかに、要求は獲得しやすいが、コメントすることは難しい、ということはあると思いますが(小井田・園山, 2005)、この点は今後の研究課題であるとともに、実践場面でも創意工夫が試されるところだと考えます。
 PECSの具体的な指導手続きについては、ボンディ博士とフロストが執筆しているトレーニングマニュアルを精読し、研修会等で技術を磨く必要があります。幸いにも、トレーニングマニュアルは、門眞一郎先生のグループによって日本語に翻訳されています。さらに、その基礎にある応用行動分析学についても、基本的知識の習得が必要でしょう(この点については、園山他訳『行動変容法入門』[二瓶社]が参考になります)。
 また、関心のある読者は、AACに関する参考図書にも当たってほしいと思います。本書では、PECSだけでなく、第5章においてさまざまなAACシステムが簡潔に紹介されています。AACの具体的な適用の仕方については、わが国でも多くの研究がなされ、参考となる書籍も多数出版されています。その一部を以下に挙げておきましたので、参考にしていただきたいと思います。
 最後になりましたが、本書の出版をお引き受けいただいた二瓶社の吉田三郎社長、ならびに細かく校正をしていただいた駒木雅子さんに感謝いたします。本書の出版によって、貴重な情報を多くの人々が入手しやすくなったことと思います。そして、それを通して、多くの子どもたちとそのご家族が利益を受けられることを、心から願ってやみません。

    2006年1月20日   筑波山を望みて
     園山繁樹



訳者紹介
園山繁樹(そのやま・しげき)
筑波大学大学院人間総合科学研究科/教授
博士(教育学)/自閉症スペクトラム支援士(EXPERT)、専門行動療法士、臨床心理士、臨床発達心理士
担当: 序、第1章、第2章、第3章、第4章、第5章、監訳、用語解説
主著訳:「自閉性障害の理解と援助」(共編著,コレール社)、「行動障害の理解と援助」(共編著,コレール社)、「挑戦的行動と発達障害」(監訳,コレール社)、「挑戦的行動の先行子操作」(共訳,二瓶社)、「入門・問題行動の機能的アセスメントと介入」(単訳,二瓶社)、「行動変容法入門」(監訳,二瓶社)

竹内康二(たけうち・こうじ)
科学技術振興機構(戦略的創造研究推進事業)/研究員
博士(心身障害学)、臨床心理士
担当: 第6章、第7章、第8章
主論文:A case study of examining the effects of self-monitoring on improving academic performance by a student with autism. The Japanese Journal of Special Education, 38, 105-116, 2001、Intensive Supervision for Families Conducting Home-based Behavioral Treatment for Children with Autism in Malaysia. The Japanese Journal of Special Education, 39(6), 155-164, 2002、「発達障害児の教科学習を支えるセルフモニタリング」特殊教育学研究, 41, 513-520, 2004.

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